予想理論の方向性

競馬一般

競馬の予想法には様々な種類があります。
それらの予想法を大きく分けると主に3つのカテゴリに分類できると考えています。
1つ目は、競馬評論家や競馬新聞の記者たちが提唱する、いわゆる正統派予想です。
2つ目は、指数やオッズなどの数値をソフト等を用いて分析するデジタル予想です。
3つ目は、サインや出目、競馬番組表等に隠された鍵を探し出すオカルト予想です。
しかも、これらのカテゴリは数多くのジャンルによって構成されているのですが、
その数の多さに反して、良績を収めている予想法は非常に少ないのが現実だと思います。

では、どの予想法が良いのでしょうか?
「そんなの正統派予想に決まってるだろ!」とおっしゃる方がいるかもしれません。
私自身はと申しますと、身も蓋もない言い方で大変恐縮ですが、
「カテゴリやジャンルを問わず、勝てるのなら何でもOK!」と考えています(笑)
なんだかんだ言っても、競馬はお金を賭けて楽しむギャンブルです。
ギャンブルは勝ってナンボですので、勝たなければ意味がありません。
おそらく、競馬ファンの多くは出馬表を見て過去実績、脚質、展開などを熟考し、
ラジオやテレビの競馬評論家や競馬新聞の記者によるパドック解説などを参考に、
最終的にどの馬を買うのかを決めているのではないかと思います。
私も以前はそうでした。しかし良い結果が得られず、いろいろな予想法を試しました。
それでも良い結果を得られなかった私は1つの仮説を立ててみました。
「もしかすると既存の予想法は全て間違っているのではないか?」
そこで私は独自理論による予想法を考案することを試み、こうして今に至っています。

突然こんな発言もどうかと思うのですが、
競馬における『理論』という単語の使われ方に強い違和感を覚えます。
『血統理論』『パドック理論』『サイン理論』『出目理論』などなど。
理論というからには「一定の法則性があるべき」だと私は考えるのですが、
競馬における理論には曖昧なものが多く、抽象的や非科学的だったりして、
そこに一貫性のある法則が存在するとは、私にはとても思えないのです。
理論という言葉を用いることで説得力を持たせているだけのような気がします。
パドック解説などは見る人の主観による判断に過ぎないと考えています。
「毛ヅヤがいい」「馬体に張りがある」「歩様がスムース」と言われても、
いったい何を基準に判断してるのか?正直よく分かりません。
そもそも論ですが、本当に見た目で馬の体調が分かるものなのでしょうか?
オカルト系予想法についても一通りの必勝本の類を読み漁り勉強してみましたが、
結局は読み手によって解釈が変わるので、辿り着く答えが違うのが実情です。
またしても“そもそも論”ですが、もしオカルト予想法が成立してしまったら、
「競馬は八百長」ということが証明されてしまうので、そんなリスクを冒してまで
わざわざ暗号のようなものを世に向けて発信する必要は無いと思うのですが・・・
正直、昭和時代の“語呂合わせ”や“トンチ”、“なぞなぞクイズ”みたいなサインを
平成を過ぎて令和の時代まで使い続ける理由があるのか疑問でなりません。
まあ、何を信じるかはその人の自由ですが、もし結果が伴わないのであれば、
老婆心ながら、あまり思い込み過ぎないのが無難ではないかと思います。

話が少々逸れてしまいましたが、
私は予想法の有用性を証明できるのは唯一『予想成績』しかないと考えています。
どの予想法が本当に正しいか分からないからこそ素直に予想成績を見て、
予想理論の正しい方向性を見出していくしか方法は無いと思うのです。
「成績が良くなれば正しい方向へ進んでいる」
「成績が悪くなれば誤った方向へ進んでいる」
「ず~っと悪いのなら、予想法を変えてみる」
大切な事なので二度言います(笑)
正しい予想法を教えてくれる人がいないからこそ“予想成績を道しるべ”に
コツコツと手探りで正しそうな方向へ歩み続けることが重要だと思っています。

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